映画「天使と悪魔」の感想

 映画「天使と悪魔」を観終わった。 最初はミステリーと陰謀論的なワクワク感を楽しむつもりだったのに、最後に残ったのはずいぶん人間くさい余韻だった。 「天使と悪魔」はダン・ブラウンの小説をもとに作成された映画である。 小説は「天使と悪魔」→「ダ・ヴィンチ・コード」の順で発行されたが、映画は逆で「ダ・ヴィンチ・コード」→「天使と悪魔」の順となっている。 どちらから観ても問題はなさそうだったので、原作にならって「天使と悪魔」から見てみることにした。 ※以下の内容にはネタバレを含みます。 物語は、反物質、イルミナティ、コンクラーベという強烈なキーワードから始まる。 反物質は加速器によって生成される物質で、通常の物質と接触すると莫大なエネルギーを放出する。 本作では、そのエネルギーを利用した爆弾として登場する。 都市を吹き飛ばすほどの量の反物質を安定的に保管できるのか、といった疑問はあるが、そこは物語として受け入れよう。 イルミナティは歴史上に存在した組織であるようだが、本作では宗教と対立する科学を信奉する秘密結社として描かれている。 コンクラーベはカトリック教会の最高指導者であるローマ教皇を選出する会議のことであり、 本作はその最中にイルミナティが引き起こすさまざまな事件――攫われた枢機卿の殺害阻止や反物質爆弾の捜索――に対処していく物語である。 科学(イルミナティ)と宗教(キリスト教)の対立という大きなテーマが提示され、いかにも壮大な対決が展開されそうな雰囲気だ。 実際、序盤は宗教象徴学教授ロバート・ラングドンが知識をもとに暗号を解読し、ローマ中を駆け巡る。 イルミナティとの攻防は目まぐるしく展開し、キリスト教の歴史や文化に疎い自分でも、 「よくわからないところもあるが、とにかくすごい」と思わず引き込まれてしまう。 しかし怒涛の展開の末に見えてくるのは、科学と宗教のどちらが勝ったか、どちらが正しいかという単純な構図ではなかった。 特に印象に残ったのはカメルレンゴの存在だ。 カメルレンゴはローマ教会の役職で、教皇逝去から次期教皇選出までの間、ヴァチカンの最高責任者となる司祭である。 彼は教会を守るために奔走し、反物質爆弾をめぐる駆け引きでは命を懸けてローマを救った英雄となる。 しかし終盤のどんでん返しによって、その姿は一変する。 彼は信仰を守るためなら犠牲も厭わない覚悟を持った人物だった。 科学が発展し、神の領域にまで踏み込もうとしている中で、 信仰の揺らぎや教会の結束力の低下が、彼の中で大きな問題となっていた。 そのため、イルミナティという秘密結社を復活させたかのように見せかけ、反物質爆弾を利用した一連の事件を実行したのである。 しかし彼は、反物質爆弾を持ってヘリコプターで上空高く飛び立ち、ローマを救う。 奇跡的に生還した彼は一躍時の人となり、次期ローマ教皇に選ばれそうなところまで話は進む。 ここで思うのは、彼は生き延びるつもりだったのか、ということである。 映画では生還し、その結果、英雄となって教会への熱い支持が復活した。 ではもし亡くなっていたらどうだろう。 その場合でも「科学の暴走」という物語は成立し、彼の殉職をもって教会の結束は強まったかもしれない。 つまり、どちらに転んでも彼の思惑は成功する構図だったのではないか。 必要だったのは、自らが犠牲になる覚悟だけだった。 だが、だからといって彼を英雄とも悲劇の人とも呼ぶことはできない。 どれだけ動機が純粋でも、命を犠牲にする選択は正当化できない。 きっと別の方法はあったはずだ。少なくとも、自分や他人の命を代償にする道ではなかったはずである。 振り返れば、この作品は科学と宗教の対立の物語ではなく、人間の物語だったのだろう。 宗教は人が集まり、人が信じ、人が作り上げてきたものである。 そこには恐れや傲慢、信念や執着といった、人間の弱さや業がどうしても入り込む。 最後のセリフに「宗教には欠点がある。それは人にも欠点があるからだ。」とある。 映画が終わった後、このセリフの重さを痛いほど感じた。 観終わった今、残っているのは単純な爽快感ではない。 エンターテインメント性も十分に備えながら、しばらく考え続けたくなる作品であった。

February 27, 2026 · 1 min · TMas